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戦争が終わって、4年が経った。
この4年の間に、見る夢も少しずつ変化していき、今では、魘されて夜中に目を覚ますことがほとんどなくなった。
たまに家族の夢を見る。失ったその瞬間ではなく、まだ幸せだった日常の延長線上に今の自分がいる──そんな夢ばかりだ。
目覚めた時に、余計に悲しい気持ちになるけれど、決して嫌なわけではない。
たとえ夢であったとしても、もう、失いたくはないんだ。だから、これでいい。
耳元で鳴る目覚まし時計に拳を叩きつけて、音を止めた。
呻きながら、気だるい身体をようやく起こし、洗面所へ向かう。歯を磨き、顔を洗うと、ぼんやりとしていた頭が少しずつ覚醒していく。
白と青色の軍服に袖を通し、帽子を目深に被る。桃色の携帯電話を胸の──心臓の近くにあてて、目を閉じた。
「じゃあ、行ってくる」
ひとつ息を吐き、目を開ける。
握っていた携帯電話をそっと机上に置いて、シンは、ベッドと机しかない殺風景な自室を後にした。
ブーツの紐を結び、玄関の扉に鍵を掛ける。部屋の鍵を軍服の内ポケットに収めながら、コンクリート打ち放しの階段を、3階から一気に駆け下りた。
狭いエントランスから、玄関先にエンジンを掛けたまま停車している青いスポーツカーが見える。
「悪い。遅れた」
シンは、車の助手席に身体を滑り込ませた。
「大丈夫、時間きっちりよ。非番なのにごめんねぇ、アスカ一尉」
運転席でハンドルを握るメイリンは、申し訳なさそうに言い、こちらを見て片目を瞑った。
オーブ陸軍第05MS部隊シン・アスカ一尉──それが、今のシンに与えられた呼び名だ。
軍務に支障のない範囲で、モルゲンレーテからの要請を受け、モビルスーツやモビルアーマーのテストパイロットをこなす。
確かに、体力的にはかなりハードだが、軍の給料とは別に、モルゲンレーテからの報酬もある。薄給でやりくりしなければならない身としては、とても助かっていた。それに───
「忙しくしている方が、夜、良く眠れるからな。こっちの方が、助かってる」
「なあに?それ」
「何でもない」
「ふうん」
メイリンは唇を尖らせて、アクセルを踏み込んだ。
「うわっ」
急発進されて、シンの身体が、シートに押し付けられる。
「あはは。ごっめぇん」
悪びれる様子もなく、メイリンは更にアクセルを踏んだ。彼女の運転は、荒い。週に3度のモルゲンレーテ送迎で、だいぶ慣れたはずだったが、急発進、急停車、急ハンドルだけは、勘弁してくれとシンは思う。
(MSパイロットであるオレの方が、メイリンの何十倍も安全運転だよ。まったく……)
シンは、メイリンに聞こえるように、大きな溜息をついた。
車は、海沿いの道を猛スピードで駆け抜けていく。早朝の、薄い紫色に染まった空の下で、凪いだ海が陽を反射して、きらきら光る。かつて、この海岸線が戦場となり、洋上で繰り広げられたMS戦が夢であったかのような錯覚に陥ってしまうほど、海は静かで、やさしい。
「平和だな」
シンは、うしろに流れていく景色を見ながら、呟いた。
「ほんとにね」
「……続くかな?」
「そのために、シンは戻ってきたのでしょう?」
「……そう、だな」
シンは、穏やかな海を眺めたまま、言葉を返した。
終戦後、「証人」として軍事法廷に出頭、フェイスの称号を取り消され、ネビュラ勲章も剥奪された。
それから約2年間、破砕されたプラントの復旧や廃棄、メサイア周辺に漂うMSや戦艦の残骸の回収などで、宇宙を駆けずり回っていた。
もう、戦地へ赴くことはないのだという安堵と、見えてこない未来への不安が己のなかで錯綜していた時、オーブ連合首長国の代表、カガリ・ユラ・アスハの演説する姿が、移送艦内のモニターに映し出された。
オーブ国内へ向けて放送されていたらしいそれは、先の戦争で揺らいでしまったオーブ中立の理念とその意味と、失いかけた国民の信頼を取り戻すには、まだ足りないものではあったが、シンは、席を立たずに、モニターに映る若き首長の姿をじっと見ていた。
それから、メディアを介して、何度か彼女の姿を目にする機会があった。
彼女の姿勢や言葉が、出会った時の『姫』のものから、一国の代表のものへと変化していくさまを感じ取りながら、力を手に入れた今だからこそ、家族が愛した故郷のために、何か出来ることがあるのではないかと、ぼんやりと考えていたことに気付き、シンは思わず、苦い笑いを浮かべた。
それと同時に、アスランがザフト軍へ復隊した理由も、少しだけ理解できたような気がした。
戦後処理の任務をすべて終えて、シンは、ルナマリアに仲介役を依頼して、モルゲンレーテの技術員として再出発したメイリンと連絡を取り、オーブ軍に在籍しているアスランの連絡先を聞いた。
『随分、思い切った決断をしたものだな。君は』
シンの話をじっくりと聞いたアスランは、最後に電話口でそう言って、笑った──それが、今から2年前のことだ。
「──それに、最近、プラントからオーブへの移住者が、少しずつだけど増えてるのよ。って、聞いてる?」
「あ?……ああ」
「こんなこと言ったら、シン、嫌な顔するかもしれないけど。アスハ代表、すごく頑張ってるもの。アスランがね、いつも心配してる。何かに追われるように、がむしゃらに仕事をして、疲れているはずなのにアイツはちっとも休もうとしない。このままだと、いつか、絶対に倒れる……って」
「……そうだな……。オレも、頑張りすぎだと思うよ」
しばらくの沈黙の後、シンは顔を背けたまま、呟いた。
運転席のメイリンから、ちらりとこちらを窺うような気配を感じたけれど、シンは気付かないふりをした。
「いつも、悪いわね」
モルゲンレーテに到着し、ブリーフィングルームに入ると、エリカ・シモンズ技術主任の落ち着いた声が、シンを出迎えた。
「いえ……」
シンは、エリカから書類の束を受取り、立ったままそれに目を通した。
今日の仕事は、新型シミュレーターのテストだ。サルベージ、人命救助、戦闘──ありとあらゆるMS利用の可能性と過去の事例をすべてデータ化したものだという。
「じゃあ、コーディネーター用シミュレーターのテスト、お願いね。ナチュラル用も、今、テスト中よ。お望みなら、模擬戦闘もできるわ」
「了解しました」
軽く敬礼して、シンは、ブリーフィングルームを出た。
MS専用に造られた広大なラボには、製作途中の新型MSの試作機が4機、一定の距離をあけて、ケーブルに繋がれた姿で立っている。
その横を通り抜けると、ラボの隅に、シミュレータらしき2機の巨大な箱型が、配置されているのが見えた。
シンはその傍らに立ち、つるりとした壁面に触れた。
「シミュレーターっていうより、これは、コクピットそのもの?」
壁際に並ぶ、胸元が空っぽなMSを見上げて呟いた。
コーディネーター用シミュレーターのハッチを開き、シートに身を沈める。慣れた手付きでムラサメのそれと同じ計器類をチェックし、ハッチを閉じてOSを起動させた。
エリカから受け取った書類で指示されたシミュレーションを一通り行い、シートに座ったまま、書類にペンを走らせてレポートを作成した。これで、今回の仕事は終了となる。
時計を見ると、午後5時を過ぎていた。
シンはハッチを開き、シミュレーターの外へ出て、思いきり身体を伸ばした。
がちがちに固まった肩を揉みほぐし、書類を脇に挟み、ブリーフィングルームへ戻ろうとしたその時、シミュレーターの壁面に寄り掛かる人影に気付いて、シンは足を止めた。
(代表?)
いるはずのない存在への違和感に、シンは眉根を寄せる。
カガリは、MSの装甲と同じ素材で作られた壁面に背中を凭せ掛け、腕組みをして、憂いを帯びた眼差しを新型MS群へ向けていた。
その横顔は、かつて、シンが乗艦していたミネルバの艦内で見せたものとよく似ていた。
「強過ぎる力は、争いを呼ぶ──ですか?」
突然響いたシンの声に、カガリの肩がびくりと跳ねた。
「え?あ……、ああ、お前か」
カガリは、大きく見開いた目をシンへ向け、引き攣った笑みを浮かべた。
「護るための剣、なんでしょ?戦闘用じゃないって聞いてますよ……一応、ね」
「ああ……。ああ、そうだな」
カガリは大きく息を吐き、俯いた。頬のあたりに影が差し、彼女が少しだけ痩せたように思えた。
「アンタ、疲れてるんじゃないですか?」
「……そんなことはないさ」
少し黙った後、カガリは、シンから視線を逸らしたまま否定する。
「なんで、目ェ逸らすんです?アンタらしくない。ここのところずっと、おかしいですよ」
シンがオーブに戻ってから、挑むような視線を真っすぐに向けて、自分から目を逸らすようなマネを一度たりともしなかった、良くも悪くも真っすぐなカガリの変化。誰に言われなくても、シンは気付いていた。
終戦4周年平和記念式典の日、地上のプラント友好国で同時テロが勃発した。
式典会場のすぐ傍で起こった爆発により、100名を超す負傷者と、28名の死亡者が出た。
青き清浄なる世界のためだか何だか知らないが、己の主張を押し通すために、たまたまそこに居合わせた人間を死に追いやるなんて、あまりにも馬鹿げた行為だ──空へ昇っていく真っ黒な煙を睨みつけながら、シンは、掌に爪が食い込むほど強く拳を握った。
その事件が、もともとワーカホリック気味だった彼女を、更に追い詰めていった。
真っすぐに前を見ていたはずの双眸には翳りが差し、時折、何かに脅えるような素振りを見せる。
「がむしゃらに国政に励むのも結構ですがね、このままじゃ倒れるって、アスランが──」
「──!なんで、そこでアスランが出てくるんだ!」
顔を上げたカガリは、頬を紅潮させて、シンを睨む。
「アスランがぼやいてたって、メイリンが言ってました。ついでに、メイリンも心配してましたよ」
シンは、溜息とともに言葉を吐き出す。
「……そうか」
カガリは俯き、再び、ふいと顔を背けた。
「私の悪い癖。その、なんだ……病気、みたいなもんだ。気にするな。すぐに、もとどおり、だ」
カガリは顔を背けたまま、吐き捨てるように言い、足早に立ち去る。シンも、彼女の後を追うようにブリーフィングルームへ戻った。
「お疲れ様でした」
来たときと同じように、微笑したエリカがシンとカガリを迎えた。
「代表にこんなことをさせてしまって、申し訳ありません」
資料を捲る手を止めて、エリカは、カガリから分厚い書類の束を受け取った。
「いや。やらせてくれと言ったのは私だからな。こちらこそ、無理を言ってすまない」
「明日はちゃんと、休んでくださいね」
「ん、気が向いたらな」
カガリの返事に、エリカは少しだけ困ったような微笑を浮かべた。
「あなたも、お疲れ様」
エリカは、カガリの後ろに立ったシンと視線を合わせ、右手を差し出す。シンは、脇に挟んでいた書類を彼女に手渡し、
「じゃあ。オレは、これで」
会釈をして、踵を返し、ブリーフィングルームを後にした。
軽いエア音とともに扉が閉まるのを横目で確認したシンは、その傍らの壁に寄り掛かり、再び、扉が開くのを待った。
「代表」
5分程経ち、ブリーフィングルームから出てきた人影に、シンは声を掛ける。
「う、うわあぁっ!」
カガリは飛び上がり、シンが寄り掛かる壁の反対側に背中を預けて、臨戦態勢に入った。
「なんだ、またお前か!びっくりするじゃないか!」
胸の前で構えた拳を下ろしながら、カガリは不快感を露わにして捲くし立てる。
「明日休みなら、少しだけ、オレに時間をくれませんか?」
突然のシンからの申し出に、カガリは眉を顰めた。
「は?……構わないが、なぜだ?」
「息抜き。いいでしょう?少しぐらい。どうせ明日も、休む気なんてないんでしょうから」
「まあ……面白そう、だな」
「決まり。明日一三〇〇、行政府まで迎えに行きます」
「ああ。わかった」
カガリの返事を聞き終えてから、シンは敬礼をして、エントランスとは逆の方向へ足を向けた。
メイリンのいるラボの前に立ち、通路とラボを隔てる大きなガラス越しに、データ処理中の彼女へ向けて『テスト終了』のサインを送る。シンに気付いたメイリンは右手の人差し指と親指でマルを作り、ゆっくりと立ち上がった。着ていた白衣を脱ぎ、周囲の技術員たちに挨拶をする。
『カレシかぁ?』
『そんなんじゃないですよぉ』
音が漏れ聞こえなくても、交わされている会話は想像に難くない。シンは被り放しだった軍帽を脱ぎ、ぺたんこになった髪を、右手で乱暴に掻き回した。
「おまたせ。テスト、どうだった?」
「キツかった」
他愛無い会話を交わしながら、地下の駐車場へ向かう。
「なあ。ここって、明日は休みか?」
「そうだけど?」
「明日さ、車を借りてもいいか?」
「いいけど。なぁに?デート?」
シンを見上げるメイリンの目が、きらりと輝く。相変わらずだな、とシンは苦笑いした。
「違う。夕方には、返すよ」
「ぶつけないでよ」
「オレ、一応、エースパイロットだぞ」
「車とMSは別物でしょう?」
メイリンは肩を聳やかし、人差し指に引っ掛けたキーホルダーのリングをくるくると回しながら、シンの顔を見上げて笑った。
13時5分前、軍服姿のシンは、メイリンから借りた車で行政府の玄関先に乗り付け、車から降りて、警務官に身分証を手渡す。
「オーブ陸軍第05MS部隊シン・アスカ一尉であります。カガリ・ユラ・アスハ代表首長殿をお迎えに上がりました」
シンは背筋を伸ばし、敬礼して、歯切れよく言葉を吐き出した。
自動扉が開き、カガリが姿を現す。
「すまないな」
カガリはシンを見上げ、首を傾けて微かに笑った。
シンは、警務官から身分証を受け取り、車の後ろのドアを開けてカガリを中へ促す。
彼女の身体が後部座席に収まったのを確認して、できるかぎり丁寧にドアを閉めた。
シンは、運転席に座り、ゆっくりと車を発進させる。
「──で、どこに連れて行く気だ?」
カガリは、バックミラー越しにシンと視線を合わせて問うた。
「タマシイが抜ける場所」
「なんだ?それ」
カガリは眉根を寄せて、訝しそうにシンを見た。
「まあ、いい。好きに連れまわしてくれ」
彼女は諦めたように呟き、後部座席に身を沈めて大きく息を吐く。シンは黙ってアクセルを踏み込んだ。
海沿いの道路を南へ下る。カガリは、ずっと、無言のままで窓の外に広がる海岸線を見ていた。
1時間ほど車を走らせると、道は少しずつ海岸線を逸れて、高台の閑静な住宅街へ入る。大通りを避けて、くねくねと曲がる細い路地を抜けたシンは、雑木林に囲まれた、整地されている小さなスペースに車を停めた。
「到着」
シンは車を降り、後部のドアを開けた。カガリは、恐る恐る外へ出て、周囲を見渡す。
「海の匂いがする」
彼女は、鼻をひくひくと動かした。
「この下、海ですから」
シンは、空地をぐるりと囲む雑木林を指さす。
「え?だいぶ、海から離れたと思っていたぞ──って、お前、何やってるんだ?」
「何って、上着を脱いでるだけでしょう。このままじゃ目立ち過ぎますからね」
シンは軍服の上着を脱ぎ、帽子とともに、乱暴に車内へ投げ込んだ。
「確かに、これは目立つな」
呟きながら、己のいでたちを確認したカガリも、すぐさま上着を脱いで座席の上にそっと置いた。
「行きましょうか」
シンはドアを閉め、鍵をかける。
車のキーをスラックスのポケットに捩じ込み、朽ちた木製のフェンスを跨いで、雑木林の中へ足を踏み入れた。細く、背の高い木々の下はひんやりとした空気が漂い、少しだけ肌寒い。
湿った土の匂いに懐かしさを感じながら、シンは、後ろを歩くカガリをちらりと見た。
彼女は、同じ間隔に植えられた木の幹に触れ、緩やかな下り坂をゆっくりとした足取りで進みながら、柔らかな緑色の隙間から零れる陽の光に目を細めた。
「よそ見してると、転びますよ」
「大丈夫だ」
カガリの声を背中で聞きながら、白い砂に反射した、眩しい光の方へ向かって歩く。
薄闇に慣れた目の奥が痛み、シンはぎゅっと目を閉じた。
風が流れて、木々がざわめく。
お兄ちゃん、はやくー……──かすかに聞こえたような気がした幼い声は、確かめる間もなく波の音にさらわれて、消えた。
シンは薄く目を開けて、額の前に手をかざした。
さらさらとした真っ白な砂浜と、遥か向こうに広がる水平線。
水面は、空の青を写し取ったかのように鮮やかで、午後の日差しを受け、ところどころに白い光の粒を漂わせている。
昔となにひとつ変わらない光景に、シンは細く息を吐いた。
二人は無言のまま、波打ち際まで歩く。引き潮で、だいぶ沖の方まで進むことができた。
途中、カガリがシンを追い抜いた。彼女は、歩きながら靴と靴下を脱いで波打ち際に放り投げ、膝のあたりまでスラックスの裾を捲り上げて、躊躇なく、波に足を浸けた。
シンは、彼女が脱ぎ散らしたものを摘み上げ、ブーツを履いたまま波がかからない場所に立ち、水平線を眺める彼女の後姿を見ていた。明るい色の髪が、陽光の粒をきらめかせて、潮風になびく。
変なかんじだ、とシンは思った。
今、デスティニープランでは決して選び取ることができなかったであろう未来に立っている。選んだのは、自分自身だ。
オーブ軍への入隊を希望した時、デュランダルに付き従っていた男に対する国や軍の上層部の目は懐疑的なものだった。
しかし、その中でカガリは、「彼を私に預けてくれ」と、最後まで彼らに食い下がったのだという。
同志、だと──かつては、立場が違っても、平和を願って戦っていた。今は、家族が愛して、信じていた国を命にかえても守りたいと言ってくれた同志なのだ、と。
それを聞いた時、ただ素直に、嬉しかった。
「はーあ。タマシイが抜けるなあ」
カガリは、空へ向かって両腕を突き上げ、大きく伸びをする。
「馬鹿だろ、アンタ」 「ここは、お前の、思い出の場所か?」
カガリの問いかけに、シンは小さく頷いた。
「きれいだな。……うん、すごくきれいだ」
彼女は俯き、ひとつ息を吐く。
「気を遣わせてしまって、すまないな。お前も、その……つらいのに」
視線を逸らしたまま小さな声で詫びるカガリに背中を向けて、シンは、海とは反対の方角に広がる高台の街を見渡した。
「あそこの、戸建住宅が並んでいる一画の奥にマンションがあるでしょう?あそこに昔、住んでたんです。んで、そのさらに向こうの方にデカイ木と校舎みたいな建物が見えるでしょ?あれが、オレが通ってた学校。……確かに、みんないなくなったのに、オレ一人だけ生きていかなきゃならないなんて、正直、つらくて仕方がないです。でもね、ここに戻ってきてから、爆撃の瞬間じゃない家族の夢を見るようになった。優しい記憶、っていうんですかね。オーブの景色の中に、それが、たくさん残っていたんだ。オーブに家族を殺されたって、恨んでいたはずなのに……ここに戻ってこなきゃ、気が付かなかった。だから、たぶん、オレはこれで良かったんだと思う。オーブに戻ってきて……良かったんだと、思う」
背後にカガリの気配を感じながら、シンは、大きく息を吸い、吐いた。
カガリは、シンが摘んでいた彼女の靴をそっと取り、軽く足の砂を払い、靴を履いて高台の街並みを見上げながら砂浜を歩く。
「アンタの弱音、聞いてやってもいいですよ。全部吐き出して、スッキリしたらどうです?」
シンは彼女の横に並び、同じ速さで歩いた。
「お前には、言わない」
「どうして?」
「どうしても、だ」
遠くから、雷鳴が聞こえる。
シンは、プラントとは違う、気まぐれな空を見上げた。白く分厚い雲の隙間から漏れた黄色い光が、筋となって落下する。
「じゃあ、代わりにオレが言いますけどね。アンタ、こないだのテロから、不安で仕方がないんだろ?また、国を焼くような事態に陥ったらなんて、嫌なことばかりが頭に浮かんで、怖いんだろ?」
「……なんで……?」
「わかるんだ?って?アンタここのところずっと、そんな顔をしてたでしょ」
カガリは、音が鳴るほど強く奥歯を噛みしめた。彼女は、また、正面に立つシンから目を逸らし、背中を向ける。
「お前の言う通り……怖いんだ。あのときの黒煙が、目に焼き付いて離れない。たまに、そこらじゅうが燃えているような幻を見ることがある。私が至らなかったばかりに、飛び火した戦火で……。その恐ろしさに、震える。また、私の力が足りなかったせいで、誰かを泣かせることになるかも知れない。もしかしたら、私の信じていることが間違えていて、再び、あの大きな力に押し流されてしまうかも、知れない。……ははっ、こんなのが一国の首長の座におさまっているなんて、な。失望、しただろう?」
カガリの声が震えている。細い肩が、呼吸を整えるように大きく揺れ、握られた拳に、さらに力がこもった。
今、彼女の中に去来するものは、絶対に弱味を見せまいとしていた男に、被っていた強がりの仮面を、たやすく剥ぎ取られてしまったことへの敗北感、だろうか?
追いつめるつもりはなかったのに、うまくいかないものだな──シンは眉根を寄せて、溜息をついた。
「自信がないんですか?アンタの信念とやらに。アンタが父親から受け継いだものは、そんなに簡単に揺らぐような、薄っぺらいものだったんですか?」
海の向こうから、雨の気配が近づいてくる。通り雨だ、すぐに止むだろう。シンは、目を閉じた。
轟音とともにやってきた激しい雨に打たれる。
あっという間にずぶ濡れになったシャツとスラックスが、べったりと身体に張りつく。シンは薄く目を開けて、カガリの肌に張りついたシャツの、重く垂れ下がった袖から滴る雨の雫へ視線を落とした。
「上の信念がブレたなら、下の者は、迷う。アンタは、アンタの信じた道をオレ達に示せばいい。強い意志を以て実現させなければ、いつまでたっても、アンタの中のそれは所詮、キレイゴトのままだ。アンタは、実現できると信じているんだろう?オレは──」
前髪から垂れた雨の雫が鼻の横を伝い、口の中へ流れ込む。シンは、埃の味がする生ぬるいそれを、ごくりと飲み下した。
「──オレは、この4年間、見てきたアンタを信じてる」
通り過ぎた雨に洗われた空気のせいで、妙に視界がクリアだ。
背中を向けていたカガリが、ゆっくりとこちらを向いた。ぽかんと口を開け、大きく見開いた目がシンをとらえる。
彼女の動きのひとつひとつが、変化していく表情が、細かな部分まで、はっきりと見えてしまったような気がした。
「戻りましょう。風邪を、ひく」
シンは、ふいと顔を背けて、カガリの手首を掴み、雑木林の方へ大股で歩く。
カガリは無言のまま、シンに引き摺られるようにして、後に続いた。
雑木林を抜けて、車の鍵を開ける。シンは、ぼんやりとした表情のまま後部座席に腰を下ろしたカガリの肩に、自分の軍服を掛けた。
「……すまない」
カガリは小さな声で言い、羽織った軍服の胸元を合わせて、身を縮めた。,br. 色を失いかけた唇が微かに震えている。 バックミラーで、カガリの様子を確認する。彼女は、時々、髪の先から落ちる水滴を拭うような素振りで目元に触れ、窓の外へ睨むような眼差しを向けた。
そんなふうに暗い顔をさせるつもりは、なかったんだけどな。シンは、溜息をつく。
あの戦争に囚われてもがく彼女に、ゆるやかに変化していった自分の気持ちを聞いて欲しくなった──かつて、自分が言葉を選ぶことなく彼女に突き付けた現実によって、ふたりの間にできてしまった深い溝が、少しだけでも浅くなればいいと思った、だけなのに。シンは、濡れた頭を乱暴に掻いた。
海沿いの道を戻り、シンは、マンションの駐車場に車を停めた。
「ここは?」
「オレの家です。服、乾かしてから戻らなきゃマズイでしょ」
サイドブレーキを引きながら、シンは彼女の問いに答える。
「お前の、家?」
「そ。オレの家」
シンは車から降り、後ろのドアを開けて、カガリを外へ促す。
狭いエントランスを抜け、階段を1段飛ばしにして、3階まで上った。
「代表。内ポケットから、鍵、取ってくれます?」
シンは玄関ドアの前で立ち止まり、カガリの方へ手を伸ばす。
カガリは、羽織っていたシンの軍服の胸元を探り、摘みあげた部屋の鍵をシンに手渡した。
シンはドアを開け、脱いだブーツを玄関先に放り投げる。
「狭いですが、どうぞ」
ドアの横に立ち尽くす彼女を、必要最低限のものしか置いていないワンルームの部屋へ招き入れた。
「ずいぶん、無愛想な部屋だな……主に似て」
部屋の隅に机とベッドだけが配置された殺風景な部屋を眺めたカガリは、呆れたように呟く。
「うるせぇよ。まあ、寝るだけの部屋ですからね」
シンはクローゼットから着替えとハンガーを取り出し、
「とりあえず、服が乾くまで、これを着ておいてください。ちゃんと洗ってあるから、ご心配なく。着替えは、玄関横の洗面所でどうぞ。シャワーも、ご自由に」
早口で言いながら、カガリにそれを押し付けた。
「ありがとう。寒いから、シャワーも借りるぞ」
カガリは、羽織っていた軍服を脱いでシンに手渡し、洗面所の扉の向こうに消えた。
シンは軍服をハンガーに掛け、バルコニーの物干しに吊るす。濡れたシャツとスラックスも、同じように干した。
上半身は裸のままジーンズを穿き、洗面所の扉の前に立ち、シャワーの水音を確認して、そっと扉を開けた。
洗濯機の上部に渡していたハンガーパイプに、カガリの着ていた衣服が吊るされている。シンは素早くそれを回収して扉を閉め、裸足でバルコニーへ出て、彼女の衣服を自分のものと並べて干した。
スチール製の、冷たい手すりに肘を付いて、遠くに広がる穏やかな海を眺めた。
飛行演習を終えたMAの影が、海面に映る。シンは顔を上げて、白い翼に夕方の薄い橙色の光を反射させながら通り過ぎていくMAを目で追いかけた。
「……オーブは、オレが撃つ……か」
シンは溜息まじりに呟く。
もしも、デスティニーの前に立ちはだかったジャスティスを撃破して、この手でオーブを撃っていたなら──もしも、レクイエムによってここが壊滅させられていたなら……。
「戦争が終わっても、オレはずっと、悪夢の中から逃れられなかった……かな?」
それとも、英雄を気取って、デュランダル議長と共に新しい世界を生きただろうか?
シンは、掌によみがえったデスティニーの操縦桿の感触を閉じ込めるように、手を強く握った。
濃密な匂いを纏いはじめた夕方の生ぬるい風が、シンの前髪を揺らす。
ふいに、カガリがバスルームに籠ってから30分以上の時間が経過していることに気付いたシンは、振り返り、ゆっくりと部屋へ戻った。
「代表?」
洗面所の扉を開け、バスルームの中のカガリに声をかける。薄いドア越しに、水の音が断続的に漏れ聞こえてはいたが、返事はなかった。
「代表?生きてます?」
シンはドアの、薄いアクリル板でできた部分を軽く叩く。
「返事しないなら、開けますよ」
ドアに手をかけて軽く押すと、二つに折れたバスルームのドアは簡単に開いた。
「何やってるんです?アンタは……」
シンは、こちらに背中を向けて、浴槽の淵に腰かけて俯いているカガリに問いかける。白い湯気に霞んで見える彼女の身体は想像していたよりも華奢で、色白で、シンは思わず目を逸らした。
「何も……。少し、考え事をしていただけだ」
シャワーの水音に紛れて、彼女の少しだけ鼻にかかった声が聞こえてくる。
「泣きながら、ですか?」
「……嬉し泣きだ。気にするな」
カガリは両腕で胸元を隠すように、彼女の身体を抱いた。
「寒いから、早くドアを閉めろ。この、スケベ」
「はいはい。どうもすみませんでした」
言いながら、シンはバスルームの濡れた床に足をつけ、後ろ手でドアを閉めた。
浴槽の上の方から降る温かな雨は、反対側の壁を伝い、カガリの足元を流れる。
シンは、背後からカガリを抱きすくめ、彼女の白いうなじに唇をつけて、滑らかな肌を味わうように舐めた。
「ひやあぁぁっ」
カガリは悲鳴を上げて、シンから逃れようと腰を浮かせる。後ろから彼女を拘束するシンの腕を振り払い、壁に背中を向けて、シンと対峙した。
「なにをする……っ」
豊かな乳房を抱き締めるような仕草で隠し、目の前に立ちはだかる男とその背後の扉を交互に確認する彼女の目の動きから、この小さな空間から脱出するための方法を思案するさまが、ありありと見てとれた。
シンは、カガリの利き手と足の動きに注意を払いながら、彼女を追い詰める。
知らず強く握られたカガリの右の拳と、背中をバスルームの壁に押し付け、シンは右手で、彼女の細い首を鷲掴みにして、ゆっくりと下から上へ撫で上げた。
「く……っ」
頭を壁に付け、顎をがっちりと上向きに固定されたカガリは呻き声を洩らし、眉根を寄せて、シンを睨みつける。
赤味を帯びてぷっくりと膨らんだ下の瞼には、まだ、涙の名残があり、真っすぐにシンを捉えたヘーゼルの瞳が宿す強い光は、シンのなかに点った情欲を煽り立てた。
シンは、笑った。カガリの顔が怯えたように引き攣る。よほど、凶悪な顔をしているのだろうなと、無性に可笑しくなり、くくっと喉を鳴らし、彼女の柔らかそうな唇に、自分の唇を押し付けた。
きつく閉じられた唇を無理やり舌で抉じ開けて、彼女の口のなかを蹂躙する。逃れようとする彼女の舌を追いかけて、奥深くまで舌を差し入れた。
舌や唇を噛み切られたって構いはしない。むしろ、むせかえるほどの血の匂いが理性を抑え込み、欲望を丸出しにして彼女を犯すことが出来て好都合だとさえ思える。
「ん、っ……ふっ、いや……だ」
カガリは、唇の隙間から呻き声を上げ、押さえ付けられていない左手の爪をシンの右肩に縋るように突き立てて、力一杯、肌を引っ掻いた。
「──ってぇ……」
潤んだ音を立てて唇を離し、痛みに脈打つ右肩に視線を移すと、皮膚の一部が抉り取られて、血が滴っていた。
「すまない」
カガリは、肩で息をしながらシンに詫びた。
シンの肩から二の腕に向かって、カガリの指の軌跡を辿るように、血液の筋が伸びていく。彼女の爪には、剥ぎ取られたばかりの皮膚片が付着していた。
「抵抗はしないから、手を、離してくれないか?……レイプされているみたいで、いやだ」
顎を上に向け、壁に後頭部を押し付けられたまま、カガリは呻き声とともに訴える。
「すみません」
シンは、カガリの右手と首を抑え込んでいた手を離した。彼女は大きく息を吐き、咳払いをする。
首と顎の境目に残ってしまった、赤く擦れたような跡が、痛々しい。
シンは、肩の痛みと、流れ出る血を見て、燃え上がるどころか、少しずつ冷静になっていく頭を軽く振り、乱れた呼吸を整えた。
背中にシャワーの湯を受け続け、熱が心臓の拍動とともに全身に行きわたったせいで、身体がだるい。
しかし、のぼせて、ぼんやりとしているはずの頭の芯は妙に冴えていた。
シンはゆっくりとカガリから身体を離し、湯を吸い込んで重みを増したジーンズを引き摺るように歩いてコックを捻り、シャワーを止めた。
シンは再び、カガリの方へ向き直る。彼女は、真っすぐにこちらを見ていた。その表情に、先程までの怯えた影はない。
カガリはシンの方へ手を伸ばす。シンが彼女の手を取るのと同時に、カガリは、その手を強く引いた。
「うわっ」
シンは、彼女の顔の横に、掴まれていない左手を付き、バランスを崩しかけた身体をようやく支えた。
カガリは、彼女に覆い被さる体勢になったシンの顔を、下から、不思議そうな表情を浮かべて見上げていた。
「……お前、背、伸びたか?」
突然の問いかけに、シンは一瞬だけ考えを巡らせて、
「少し」
と、一言だけ返した。
「そうか。……もっと、小さくて、痩せていたような覚えがあったんだ」
「まあ、育ち盛りですからね……それよりアンタ、今の状況、理解してます?」
「……理解、しているさ」
カガリは目をそらし、俯いた。
シンはカガリの手を掴んでいた右手で、彼女の左腕をゆっくりと撫で上げ、逃げられないように軽く肩を押した。
壁に付いた手を離し、彼女の、形の良い額にぺたりと張り付く一筋の濡れた髪を、そっと後ろへ流す。
カガリは身を固くして、諦めたように目を閉じた。
シンは、カガリの額、両の瞼、鼻の先にゆっくりと唇を落とした。彼女の皮膚の表面が、少しずつ冷えていく。
このまま、己の熱を発散するためだけに、コトを進めても良いものだろうか?
シンのなかを過ぎる罪悪感に似たものが、この先の行為を躊躇わせる。
つい今しがたまで、彼女の口の中を夢中で犯していたくせに──シンは小さく息を吐き、カガリの鼻先から唇を離して、先程、きつく締めあげた彼女の首をそっと撫でた。
カガリは、薄く目を開けてシンを見上げ、どうした?と、問いかけるように顔を傾ける。
「寒く、ないですか?」
訊くと、
「お前の身体が熱いから……大丈夫だ」
言いながら、カガリは、シンの背中にそっと両腕をまわした。胸に触れた柔らかな感触に、シンの身体の芯は更に熱をもち、痺れていく。
「寒くなったら、教えてください。それから、逃げたくなったら張り倒してくれれば……やめます──たぶん」
「ああ……そうする」
カガリがそう言い終えるのと同時に、シンは、彼女の唇に己のものを重ねた。
既に軽く開かれている唇の隙間をぺろりと舐めると、シンの背中に触れていたカガリの手に微かに力がこもった。
口の端を舌先でくすぐり、上唇にゆっくりと舌を這わせる。奥に潜んでいた彼女の舌先が、悪戯を仕掛けるように動くシンの舌を制止するように触れた。つかまえた──シンは、彼女の薄い舌を吸い、つるりとした裏側を舌先でなぞる。
狭いバスルームに潤んだ音を響かせながら、シンは、カガリを貪るように味わった。
「……んっ、ふ……ぅ」
二人の唇の隙間から時折洩れる熱く湿った吐息が、シンの頬をかすめる。
シンはゆっくりと唇を離し、カガリの首筋に顔を埋めた。白く、滑らかな肌に噛みつくようなキスを落としながら、彼女の太腿を撫で上げ、柔らかなお尻を揉みしだく。
「あ……」
突然の激しい愛撫に驚いたカガリは、シンの背中にまわしていた手を解き、肩を強く掴んだ。
彼女が押さえ付けている肩の引っ掻き傷の痛みさえも心地良く感じるくらい、シンは昂ぶっていた。
触れただけで弾けてしまいそうなほどに弾力のある豊かな乳房を、脇の方から中心へ寄せるように揉み、尖端の薄い桃色の蕾を口に含んだ。
カガリは、声を上げまいと唇を噛みしめ、頭を振る。
彼女の、その強情さは、シンの身体の奥の方から湧き上がってくる、ひどく嗜虐的な欲望を煽り立てる。
指先が柔らかな白い丘に沈んでいく感触を愉しみながら、シンは、硬く閉じた彼女の頂を激しく舌先で転がした。
「は、ああぁ」
カガリは細い腰をくねらせて、たまらず、吐息を漏らす。
シンは左手でウエストのくびれから太腿を撫でて、彼女の右足を持ち上げ、浴槽の淵に乗せた。弄んでいた乳房の反対側に吸いつきながら、大きく開かれた足の間を指先で探る。彼女のそこは十分に潤っていて、指を動かすたびに淫らな水音を響かせた。
柔らかいふくらみを堪能したシンは、カガリの程よく引き締まった腹部に舌を這わせて、足元に膝を付き、彼女の髪と同じ色の、色素の薄い叢に顔を近づけた。
彼女の敏感な部分を探索していた左手で、浴槽の淵に乗せた脚の内腿を撫でて、閉じないように軽く押さえる。
シンは、右手の中指を彼女の花蕊に埋め、なかをくすぐるようにかき回して、上目遣いにカガリの顔を窺った。
彼女は切なそうに眉根を寄せて、薄く目を開けてシンを見ていた。
視線を重ねると、カガリの顔がみるみる赤くなっていく。耳まで真っ赤に染めた彼女はきつく目を瞑り、俯いたまま、顔を背けた。
シンは、右手の中指を彼女のなかで遊ばせたまま、親指で淡い色の花弁をそっと捲り、奥に潜んでいた核を口に含む。
はじめは舌先で軽くつつき、徐々に、舌の全体を使って、ぷっくりとしたそれを包み込むように舐め上げた。
「──っ、ああぁぁ、っ」
カガリは悲鳴に似た声を上げ、シンの肩を強く押して、愛撫から逃れようともがく。
シンは、開かせた彼女の右足をバスルームの壁に押し付けて、花蕊を探っていた指を2本に増やし、なかの襞を押し広げるように奥まで進め、触れることができるいちばん遠い場所を指先で擦る。
そして、ゆっくりと第一関節のあたりまで指を抜き、花蕊の入口を指でまあるくなぞる。それらの動きを繰り返すうちに、シンの掌は、指を伝い落ちた甘い滴りでしっとりと濡れた。
「ああっ……いや、だ。おかしく……なる、っ」
びくびくと、カガリの身体が震える。シンは音を立てて、膨らんで敏感になった彼女の核を吸い、頂へと誘う。
「いや……。いや、だ……うっ、ん……っ。いやぁ、あああぁぁ……」
シンの指を咥え込んだ花蕊がひくつき、2本の指の根元を締め付ける。軽いパニックのような状態に陥ったカガリは、彼女に触れるシンの手や顔を振り払った。
脱力したカガリは、崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。シンに弄ばれた秘所を守るように足を閉じ、荒れた呼吸を必死に整える。
「嫌?──うそつき」
言いながら、シンは、あたたかな蜜でぐしょりと濡れた右手をカガリの頬にあてた。
ようやく楽に呼吸ができるようになったカガリは、膝立ちのままのシンを恐る恐る見上げ、彼女の愛液で濡れた口元をそっと拭った。
「立てますか?」
シンの問いに、カガリは力なく首を横に振る。
「しばらく……このままで、いさせてくれ」
カガリはゆっくりと身体を起こし、両腕をシンの首に絡めて頬と頬を合わせた。
耳元に、彼女の熱く湿った吐息がかかる。シンは、彼女のすべすべした背中をそっと撫でた。
「──代、表?」
ふいに、カガリの唇が耳朶に触れ、呼ぶ声が震えた。
「まさかお前と、こんなふうになるなんて思わなかった」
耳のなかの器官いっぱいに、彼女の声が満ちる。
「オレもです。……やめますか?」
シンが問いかけてから、しばらくの沈黙の後、
「お前が良ければ、このまま抱いてくれ」
呟いた彼女の声には、少しだけ、泣きだしそうな響きが滲んでいた。
「アンタが、そう言ってくれるなら──」
シンは、華奢な身体を抱く腕に力を込め、彼女の頬に唇を寄せた。
カガリの細い指がシンのうなじに触れ、襟髪をさわさわと撫でる。冷えた指先が首筋を辿り、彼女と出会った頃よりも厚くなった胸のあたりで止まった。
「したも、触っていいか?」
カガリは、シンの肩に額をのせて、問う。
「……どうぞ」
カガリは躊躇いながら、ぐっしょりと濡れたジーンズの上から、シンの硬く膨張したものを撫でた。
まるで形を確かめられているかのような、ゆっくりとした手の動きに、シンは突然恥ずかしくなり、顔が熱くなっていく。
カガリは、ジーンズの釦を片手で器用に外した。
手を中へと滑り込ませ、叢を指先に絡めるように撫でる。
手を舟底の形にして、シンのものを包み込むように触れ、そっと手を上下に動かしていく。冷たかった彼女の指が同じ熱さになった頃、シンの中心は、薄くて細い手の中で、極限まで膨れ上がってしまっていた。
「ジーンズを脱いで、ここに座ってくれないか?」
彼女に言われるまま、シンは着ていたジーンズを脱ぎ捨て、先程、彼女の脚を乗せていた浴槽の淵に腰を下ろした。
カガリは、閉じていたシンの足を軽く開かせ、両太腿の間で、シンと向かい合うように膝立ちになる。
股間を隠すシンの手を横にずらし、そそり立つ熱い塊を口に含んだ。生ぬるく、柔らかな感触に包まれて、シンは細く息を吐き、目を瞑った。
カガリは、根元のあたりを軽く扱きながら、浮き上がった血管に沿って丁寧に舌を這わせる。小刻みに舌先を動かしてつるりとした先端を舐め擦り、時々、音を立てて吸った。
強く吸われると、何かいけないものが漏れ出てしまいそうな感覚に襲われて、気付いたら、女のような嬌声を上げてしまっていた。
「気持ちいいか?」
カガリは、シンのものを口に含み、垂れ下がった袋を手で弄びながら、問う。
「ええ、すごく」
シンは薄く目を開け、彼女の髪を梳くように撫でた。
「そうか……、よかった」
唇と舌をあてる角度を変えるたびに、ちゅぷちゅぷと、いやらしい音がバスルームに響く。
一国の指導者である彼女にこんなことをさせている後ろめたさに、少しだけ、胸が痛む。
下を向いてシンのものを丁寧に舐めるカガリの頭頂部に、シンは額を寄せた。
「代表、もう──」
掠れた声で伝えると、カガリは小さな音を立てて、痛いほどに脈打つシンのものから口を離した。先端と唇を繋いだ透明な糸を、彼女は、舌先で手繰り寄せる。
「どう、したい?」
顔を近づけたまま、彼女はシンに問う。
「後ろからしたい……です」
「……わかった」
視線を合わせ、お互いに驚くほどスムーズにキスをした。
シンは彼女を労うように唇を吸い、舌を絡めた。名残惜しい気持ちで唇を離してゆっくりと立ち上がり、カガリの背後に回り込んで壁に手を付かせる。
「少し、足を開いて──もっと、腰を、こっちに突き出してください」
カガリはシンに求められるままに身体を動かし、バスルームの壁に額を付けた。
「アタマ、ぶつけますよ」
背後から彼女の乳房に触れた手を少しずつ下のほうへずらし、突き出されたお尻を優しく撫でて、割り開く。
昂ったものの先端を、とろけた蜜で潤った花弁に擦りつけて、花蕊の入口にあてがった。
「──あぁっ……」
シンがゆっくりと腰を進めていくと、壁に付いたカガリの手に力がこもり、背中が弓なりに反った。
柔らかな、濡れた襞々がシンの熱い塊にゆるやかに絡み付き、奥へ誘う。最奥を軽くつつくと、カガリは小さく呻きながら身を捩った。
「繋がってるところ……丸見えです」
「──っ、黙れ!変態!」
カガリの爪が、バスルームの壁を引っ掻く。彼女の抗議を無視して、シンは、無防備に曝け出された秘所に下腹を擦りつけた。
抜き差しするたびに、結合した部分が泡立ち、カガリの花蕊からは男を惹きつけて離さない匂いの蜜が溢れ出る。
腰を使う速さを増すと、蜜のつぼから漏れた雫がぽたぽたと床に零れ落ちた。
最奥をおもうさま強く突き、彼女が掠れた声を上げて身を捩る姿を愉しむ。調子に乗って彼女を弄っていると、今度は、己の限界が近づいてくる。シンは、射精感が高まったところで徐々にペースダウンしていった。
滑らかなウエストのくびれを撫でながら、うっすらと汗ばんだ彼女の背中に唇を落とし、強く吸った。
普段、人目に晒すことがない部分に花びらを散らす。赤い内出血の花びらは、彼女の身体の昂ぶりに合わせて、鮮やかに色を変えた。
ふいに、腰を支えている手にカガリの手が重なる。
「そっちを向いてもいいか?」
「なぜです?」
「……寒い、から」
カガリの求めに応じて、シンはゆっくりと身体を離して己のものを引き抜くと、彼女の花蕊の入口は濡れた音を立てて閉じた。
背中を向けていた彼女はこちらへ向き直り、右足を浴槽の淵に乗せて、シンを見上げた。
歩み寄ったシンの首に縋りつくように両腕を回し、豊かな乳房を密着させる。
シンは、彼女の腰のあたりを軽く抱え上げるように固定して、再び彼女のなかに、限界ぎりぎりまで膨れ上がった欲望を埋めていく。
「やはり熱いな、お前の身体は……」
カガリは、シンの耳朶に唇を寄せる。湿った吐息がシンの敏感な部分にかかり、首の後ろが粟立っていくのを感じた。
シンは彼女の肩先を軽く噛み、鎖骨の溝を舌先でなぞる。
「ん……、あぁ……」
顎を上げて声を漏らすカガリの首筋を、シンは、音を立てて吸った。唇が触れる部分を僅かにずらしながら、上のほうへ向かう。彼女は、浴槽の淵に乗せていた足をシンの腰に絡めた。首筋への刺激と呼応するように、彼女の花蕊の入口はひくつき、シンのものの根元を締める。
シンは彼女の背中を壁に押し付けて、ゆっくりと、突き上げるように腰を動かした。
「ああぁ、んっ……んぅ……っ」
シンはカガリのなかを抉りながら、薄く開いた唇を塞いだ。
差し入れた舌で彼女の口の中を滅茶苦茶にかきまわし、腰の動きを徐々に早めていった。
彼女は、シンの責めから逃れるように壁に背中を擦りつけ、ずりずりと這いあがっていく。
「……ひっ、ああっ……あっ、あんっ……」
爪先立ちになったカガリの身体が揺らぎ、僅かに彼女のなかを抉る角度がずれて、予期していなかった場所からの刺激に、彼女は激しく身悶えた。
「ここが、イイんですか?」
シンは、彼女の身体が動かないように支えて、同じ場所を強く抉った。
「ん、ああぁっ……っはぁ……、もっと……して…ぇ」
カガリは眉根を寄せ、切なそうな表情で哀願する。
噛みつくようなキスを交わしながら、ようやく見つけた彼女のイイ場所に己のものを擦りつけ、先端を最奥へ捩じ込んだ。
カガリは、僅かな唇の隙間から浅い呼吸を繰り返す。時折、彼女の喉の奥がくぅと苦しそうな音を立てた。
けれども、彼女はシンを押しのけることはせず、唾液でぬめる舌を絡め、ただ貪欲に、シンが与える熱を求め続けた。
汗ばんだ肌が擦れ合い、軋む。
酸欠気味で、頭の芯がぼうっとする。首のあたりを拘束するカガリの腕に力がこもり、背中が弓なりに反った。
「あっ……やぁ、ぁあああっ──イく……っ」
濡れた唇が頬を掠め、シンの首筋に顔を埋めた彼女の身体ががくがくと震えた。
シンは、彼女の身体をしっかりと抱き締め、射精寸前のものに更なる悦楽を求めて絡み付く襞々を押し分けて、勢いよく抽送する。
「は、あっ……んっ…あ、ぁあああああぁんっ」
カガリは、結合した部分をシンの下腹に擦りつけ、腰に絡めた右足に力を込めた。
彼女のなかが、まるで別の生き物のように収縮する。それと同時に、シンの通路を焼けたどろどろとしたものが駆け上がり、先端に熱が集中していく。
最奥へと促す襞々の誘惑を振り払うように、爆発寸前まで膨張したものを引き抜き、お互いの腹の間に擦りつけた。脈動と共に吐きだした熱い粘液が、二人の腹を汚す。
「……んっ、うぁ…っ」
シンは彼女の肩に頬を寄せて、小さく喘いだ。
5回の脈動の後に、身体の芯を貫くように押し寄せてきた快楽の波に溺れてしまいそうになる。普段、射精の後、ゆるやかに醒めていくはずの身体が、まだ、どうしようもなく熱い。
「大丈夫、か?」
カガリは、大きく上下するシンの肩をそっと撫でさすった。
「ええ……」
シンは掠れた声で答えて、壁に手を付き、ゆっくりと身体を起こした。二人の境界を曖昧にしていた熱い粘液が名残惜しそうに糸を引き、ぷつりと切れた。
シンは重い身体を引き摺りながら移動して、シャワーヘッドを握る。
カガリに水が掛からないようにコックをひねって温度を調節し、彼女の程よく引き締まった腹に散らした、白く濁った欲望の残滓を丁寧に洗い流す。
「お前が先に洗って、出てくれ。私は、後からいく」
シンは小さく頷き、まだ僅かに膨張しているものを隠すようにシャワーを浴びた。
すべてを洗い流してから、胸元を手で押さえながら壁に寄り掛かる彼女に、シャワーヘッドを握らせる。
「なあ──」
カガリはシンを見上げて、思い切ったように口を開いた。
シンは、彼女と視線を合わせて、問うように首を傾げた。
「──最後にもう一度だけ……キスしてくれないか?」
しばらく考えを巡らせた後、シンは彼女の頬を掌でそっと撫で、淡い色の唇を軽く吸い、小さな音を立てて離した。
「ありがとう」
カガリは目を伏せて、唇の端っこでひそやかに笑った。
シンは彼女に背中を向けて、床に放り投げたジーンズを拾い上げ、バスルームを出た。
濡れたジーンズを洗濯機の中へ突っ込み、バスタオルで身体を乱暴に拭く。クローゼットから新しい下着と綿のパンツ、白いTシャツを取り出して、着がえた。
ベッドに腰を下ろし、大きく息を吐く。
疲労感が、ずっしりとシンの背中に圧し掛かる。シンは、まだ完全には萎えていない下腹部に手をあてた。昇りつめたときの甘い声と、彼女のなかの熱いぬめりを思い出し、慌てて、膨らんでいくものから手を離し、頭を振った。
洗面所の扉の向こうから、ドライヤーの音が響く。
シンは、妙に居心地が悪くなり、その音から逃れるように、裸足のままでバルコニーへ出た。
バルコニーの手すりに肘を付き、うなじを掻く。水平線に沈んでいく夕陽が眩しくて、目を細めた。
夜の匂いをはらんだ生ぬるい風が、身体に絡み付く。
ふいに、カガリの唇の感触がよみがえり、その生々しさに背中が震えた。
ただの成り行きだ。わかってる……でも──。
シンは、カガリに引っ掻かれた右肩にそっと触れた。まだ生々しい傷痕が残るそこは、心臓の鼓動に合わせてずくんと疼く。
「痛むか?」
バスルームから戻ったカガリが、いつの間にか背後に立っていた。
「大丈夫、です」
シンは振り返らずに答えた。
背後から、かさかさと布の擦れる音がする。
「服、もう乾いたみたいだな」
「……戻りますか?」
シンは、カガリに背中を向けたまま問いかける。
「……日が沈むまで……いいか?」
「ええ」
カガリはシンの背中に、彼女の背中を預けるように凭れ掛かる。
「今日は、その……いろいろ気を遣わせて、すまなかったな。おかげで少し、吹っ切れた……かな」
シンは黙ったまま、彼女の声に耳を傾けていた。
「私はもう、迷わない──迷う必要も、ない。私は、私の信じるやりかたで、命をかけてこの国を、この国を信じてくれる皆を護り抜いてみせる」
背中に心地よい重みとぬくもりを感じながら、シンは、ゆっくりと目を閉じる。
夕焼けを反射した海は、数多の命を飲み込んだあの戦争がまるで夢であったかのように、穏やかにゆらめいていた。
了[2008/01/16]
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