忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

美しい名前


レイの容体が芳しくないとの連絡を受け、シンは、残ったデスクワークをすべて部下に押し付けて、彼のいる病室へ急いだ。
ルナマリアにも連絡したけれど、彼女は今、任務で地上に降りていて、プラントに戻るのは1ヶ月後とのことだった。電話口で、彼女は泣いていた。
大丈夫だよ、まだ、泣くなよ──シンは呟いて、電話を切った。
病室の扉を開けると、レイの脈を取っていた医療スタッフが、口元だけに微かな笑みを浮かべて、シンに会釈する。
「何かありましたら、呼んでください」
言って、彼は病室を出て行った。
シンは、ベッドに横たわるレイの傍へ歩み寄り、丸椅子に腰を下ろした。
「レイ……聞こえる?レイ」
呼びかけても、反応はない。シンはそっとレイの手を握り、眠る彼の顔を見つめた。
延命措置はしない。それが、彼との約束だった。彼は、言った──生きられるのならば、できるかぎり長くお前達と共にありたい。だが、お前達のことがわからなくなってまでも、生き長らえたいとは思わない、と。
「……レイ」
シンは、祈るように、彼の名前を呼んだ。
ベッドの傍らの大きな窓から、あたたかな光が零れる。
白く、明るい部屋に、彼の命を繋ぐ機械の音だけが妙に大きく響く。シンは、レイの鼓動のリズムに耳を傾けた。この世界に、たったふたりぽっちで取り残されてしまったみたいだ。
「レイ」
シンに握られたレイの手が、微かに動く。
レイ──名前を呼ぶたびに、レイはわずかに残った力で親指を動かし、シンの中指の付け根をそっとなぞる。その小さなサインを見失ってしまわないように、シンは目を閉じて、神経を研ぎ澄ました。
「レイ」
彼の名前を呼びながら、ふいに気付く。
「きれいな響きだな──なんて、今さらか……」
シンは口元を歪めて、呟く。今まで、ずっと傍にいて、あたりまえのように何度も彼の名前を呼んでいたのに、まったく気が付かなかった。いや、あたりまえだったからこそ、見逃してしまっていたんだ。
「……レイ」
シンは指先を微かに動かして、レイの手のかたちを記憶に焼き付ける。
銃を握り、MSを繰って、共に戦ってきた彼の手は、乾いて、さらさらしていた。掌には十分な厚みがあり、指が細長く、関節が目立つ。想像していたよりも、大きな手だった。
こんなふうに触れなければ、知ることはできなかった。
できることなら、自分に残された時間を少し、彼に分けてやりたい。もしも今、レイの秘密を知らなかった頃まで時間を戻すことができたなら、もっと、もっと、彼と一緒の時間を大切に過ごすことができたのに──消えていく炎の前で、自分の存在と願いは、とても無力で、ちっぽけだった。
彼の命のリズムが、ゆるやかに下降していく。
「レイ?」
レイは、はぁ、と小さく息を吐いた。
呼びかけに応えてくれていた指が、動きを止める。
「レイ……」
シンはゆっくりと目を開けて、ベッドの向こうの、銀色の窓枠に切り取られた空の破片をぼんやりと眺め、細く息を吐いた。レイの瞳と同じ色の空は、どこまでも高く、澄んでいる。
シンは、まだぬくもりの残る彼の手を強く握った。



泣き叫び、この胸の痛みをすべて吐き出してしまいたいと切望するときほど、涙は出てこないものなのだと、今、はじめて知った。







了[2008/2/19]

PR

Copyright © 藤棚 : All rights reserved

「藤棚」に掲載されている文章・画像・その他すべての無断転載・無断掲載を禁止します。

TemplateDesign by KARMA7
忍者ブログ [PR]