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7月7日


『レイに会えますように』
ノートの端を長方形に切り取り、黒のマジックで、でかでかとそう書き込んだ。
右上の隅っこにシャープペンシルの尖端で穴を開け、ティッシュペーパーで作った紙縒りを通し、机上に膝をついて、目の前の窓の上に取り付けられたカーテンレールにそれを結ぶ。
「えーと……それから──あっ、そうだ”カシワデ”……」
呟いて、シンは椅子に座りなおし、神妙な面持ちで額の前で両の掌を合わせ、パンパンと音を立てて手を叩いた。
これは、現在駐留している地上の基地の食堂のおばちゃんから聞いた、”タナバタ”とかいう、ちょうどこの場所の裏側にある島国で信じられているおまじないらしい。
7月7日、願い事を書いた”タンザク”を”ササノハ”にくくりつけると、その願いが叶うという。
情報端末で検索して、”タンザク”の作り方は分かったけれど、土地柄、”ササノハ”の入手は困難だったため、とりあえず空から良く見えるようにと、窓際の、カーテンレールにぶら下げてみたのだった。
「これでよし、っと」
満足げに頷き、傍らの分厚い専門書をぱらぱらと捲る。
終戦後、ザフト軍に残り、戦後処理に奔走していた時期に胸の底に押し込めていた喪失感や見えてこない未来への不安が、通常の軍務に戻ったとたんに、堰を切ったように押し寄せてきた。正直に言ってしまえば、本気で逃げ出したかった。けれど、レイがくれた最後の言葉を支えとし、目標とすることで、何とか、ひとりでも前へ進むことができた。
シンは頬杖をつき、橙色に染まっていく空を背にして風に吹かれて踊る”タンザク”をほんやりと眺めた。
家族の夢は、たまに見る。けれど、あの薄情者は、ひとりで逝ってしまったあの日から今日まで、一度として会いに来てはくれなかった。だから、レイの名前を書いた。
「ノコノコ現われたら、説教くれてやるからな」
願いを書き記すことで、今夜、夢の中で会えるかも知れないという淡い期待を抱きながら呟いて、笑う。
「……本当に薄情なのは、オレの方…かもしれないけど」
時の流れはひどく残酷で、レイが逝ってしまった日の記憶を、少しずつ薄れさせていく。生きていくために必要なことだと慰められても、納得することはできない。
次第に滲んでいく視界を遮るように目を閉じて、頬を伝い落ちる雫を、手の甲でぐいと拭った。



「──おい」
肩を揺さぶられて、顔を上げたその瞬間に本の上にぽたりと落ちた涎を、慌てて拭き取る。
「昇進試験か……頑張っているじゃないか」
背後から響く、笑いを滲ませた聞き覚えのある声に、心臓がびくりと跳ねた。
恐る恐る、後ろを見る。赤い軍服の袖が視界に入り、ゆっくりと視線を上へ向けた。肩に触れている、内側にくるりと巻いた金髪が、夜の匂いをはらんだ風になびいた。
「──レイ!?」
立ち上がり、彼の肩を掴む。僅かに顎を上げたレイは、目を細めて、微笑した。
「背が、伸びたようだな」
「……あ、ホントだ」
少しだけ高くなった己の目線に動揺しながら、シンは、咄嗟に掴んだレイの肩から腕を、彼の身体の感触を確かめるように撫で下ろした。
「……ミが、詰まってる……何で?」
「夢だからじゃないか?」
「夢……そっか」
小さく頷きながら、シンはレイの頬を強くつねった。
「なぜ、俺の頬をつねる?」
「……なんとなく。……痛い?」
「教えてやらない。それよりも、俺に何か言いたい事があったんじゃないのか?」
問われて、はっとした。
ひとりで先に逝きやがってコノヤローとか、何で夢にさえ出て来てくれないんだバカヤローとか、言ってやりたいことは山ほどあったはずだった。それなのに、いざ本人を目の前にすると、たとえ夢であったとしても、会うことができた嬉しさに、そのすべてが霧散していった。シンは微かに笑い、レイの青い瞳を見つめながら、小さく首を横に振った。
「レイ……」
シンは、レイの腕を掴み、そっと抱き寄せる。
3年の月日を経た身体と、あの頃のまま止まっている姿との体格差が、ほんの少しだけ悲しかった。
「オレや、ルナマリアは元気だから……心配、しなくていいよ」
背中を丸めて、レイの身体を抱き込むように、彼の背中に腕を回した。
「知っている。この3年の間、お前が歩いてきた道も……去年、昇進試験に落ちて、ルナマリアに先に白服を着られたことも、偶に……俺を想って泣いてくれていることも……全部、知っている」
レイは背中を反らし、一歩足を引いて、後ろへ流れそうになるふたりぶんの重さを支え、微かに震えるシンの背中を優しく撫でさすった。
「なんだ。知ってんのか……恥ずかしいな。……レイなら、もっと早く昇進してたかな?」
「それは、どうかな?……お前は、お前のペースで歩いていけば良い。先は、まだまだ長いのだから」
「ん……そだな」
シンは呟き、レイの背中に回した腕に、更に力を込めた。
不思議な感覚だなと、シンは思った。
触ることができるのに、実体ではないような。温かくはないのに、冷たくもない──今までに感じたことのない、奇妙な存在。

「……そろそろ、時間だ」
言いながら、レイは、壁掛けの時計を指さした。
「日付が、変わるから?」
「ああ」
「また、会いに来てくれるか?」
「気が向いたらな」
身体を離したレイは微かに笑い、机の方へと歩いて行く。よっ、という小さな声と共に机の上に立ち、カーテンレールに手を掛けて、窓の外に身を乗り出した。
「そこから出ていくのか?」
「来る時も、ここから入ってきたのだが……気付かなかったか?」
「全然。……なあ、レイ」
「何だ?」
「ずっとここにいるのは、ナシ?」
「ナシ、だな」
レイは、窓から身を乗り出したまま、首を傾けて寂しそうに笑う。
「風が、来る」
何かに気付いたように顔を上げ、レイは目を細めた。彼の着ている軍服の長い裾が大きく揺れる。レイが顔を向けた方へ神経を研ぎ澄ますと、確かに、何か大きなものが近付いてくるような気配がする。シンは机の上によじ登り、レイの胸に頬を寄せるように窓の外へ顔を出して、気配のする方へ視線を向けた。
「これは、貰っていく。……また、な。シン」
レイは、カーテンレールに吊り下げた”タンザク”を摘まんで軽く引き、南の方から近付いてくる滝のような轟音に身をゆだねるように、窓枠を蹴った。
「レイ!」
シンは窓から身を乗り出して、レイへ向かって手を伸ばした。
「う……わあぁぁ…っ」
バランスを崩したシンは、そのまま、地面へと落下する。
落ちていく感覚の中で、シンは、遥か上空で鳥の羽音を聞いた──ような気がした。



硬いものに額を打ちつけ、恐る恐る目を開けた。
宿舎の1階とはいえ、地面に落ちたにしては痛みが少ない。ゆっくりと顔を上げると、口の端から流れ出た涎でふやけた本が、視界に飛び込んできた。
「……やっぱり、夢かぁ……」
深い溜息をつき、掌で涎の水たまりを拭った。
「夢でも、会えたからいいか──……って……嘘……」
カーテンレールを見上げたシンは、目を大きく見開いて、立ち上がった。机の上に膝を乗せ、手を伸ばし、ティッシュペーパーで作った紙縒りの輪っかをカーテンレールから外した。
ちぎれた”タンザク”の切れ端が、くるくると回りながら窓の外へ落ちていく。
「──レイ?……おーい、レーイ……」
レイの名前を呼びながら、シンは壁につかまって、慎重に窓の外へ身を乗り出した。
「……アマノガワ?」
ぽかんと口を開け、頭の遥か上方に広がっている満天の星空へ視線を走らせる。身を乗り出し過ぎてずるりと手が滑り、今度こそ本当に、地面に頭を打ちつけた。
壁に沿って脚を垂直に伸ばし、踵を窓枠に乗せたまま、土の上に寝転がって、白く輝く星の群れを眺める。
その中のひとつが、尾を引いて流れた。
この情けない有り様を見たレイが笑っているような気がして、シンも小さく笑い、手を伸ばす。レイを攫った風のような気配が身体を包み、掌を撫でて、空へ吹き抜けていく。
それは、ずっと前に触れたことがある、レイの乾いた掌の感触に良く似ていた。







了[2008/07/07]

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