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陥落したメサイアで、レイだけが生きていた。
議長と艦長に抱かれ、守られていた彼の身体は、それでも酷い傷を負っていて、発見された時には、彼の命も消えかかっていた。
シンは、レイが横たわるベッドの傍らに立ち、彼の手首に嵌められた拘束具を、指の先でそっと撫でた。
『どうしてこんな、酷いことをするんだ!』
初めて、ベッドに繋ぎ止められたレイの姿を見た時、医療スタッフに詰め寄り、手枷を外させた瞬間に、その理由を理解した。眠っていたはずの彼の目が突然開き、まだ動かすことが出来ない身体を引き摺るように、扉の方へ向かおうとしたのだ。レイは、ベッドから落ち、点滴台を倒してもなお、誰かを捜すような視線を彷徨わせて、前へ進もうと、懸命に手足をばたつかせた。その場に居合わせた医療スタッフと共に、嫌がる彼をベッドに寝かせて、再び、自由を奪う。鎮静剤を注射されたレイは諦めたかのように目を閉じ、薄く開いた唇の隙間から細く息を吐いた。
「──じゃあな、レイ。また来るよ」
言いながら、包帯が巻かれていないレイの手の甲を、指先で軽くつつく。反応はなかった。眠っているのか、ただ目を閉じて、現実から彼自身を切り離そうとしているのかは分からない。すべてを諦めてしまったかのような彼の様子と、『ナチュラル以上に遅い』と言われた怪我の治りが、とても気懸かりだった。
レイが入院している間に、日当たりの良い2LDKの部屋を借り、簡素なパイプベッドと寝具を二組、ダイニングテーブルと調理器具、二人分の食器、そして、生活に必要な雑貨類を揃え、身寄りのない彼を受け入れる態勢を整えた。家族同然の議長を目の前で失い、たったひとりで残されたレイを、放っておけなかったからだ。それに、世界のすべてに背中を向けているような、今の彼のあの有り様では、退院したとしても、まともな生活を送ることが出来るとは、到底思えなかった。
戦争で負傷したザフト軍関係者がすべて退院した頃に、レイの身体は、ようやく回復の兆しを見せ始めた。
シンは、大破したミネルバから回収した二人分の私物を、それぞれの部屋に振り分け、レイの軍服をクリーニングに出して、彼を、この家へ迎え入れる日を待った。
「今日から、ここが、オレとレイの家だよ」
夕飯の材料の買い物を済ませた後、退院したレイを迎えに行き、玄関先に立ち尽くす彼を部屋の中へ促す。シャツの袖の上から、手首のあたりを掴むと、レイの顔が僅かに歪んだ。
「ごめん。まだ、痛むんだな」
シンは慌てて手を離し、さらりと乾いたレイの手を握り、彼を引き摺るように廊下を歩いた。
「一番手前がオレの部屋で、ここがレイの部屋。廊下を挟んで、トイレ、洗面所、風呂。それから、廊下の突き当たりがLDKだよ。……ちょっと、疲れたみたいだな」
首を傾けて、レイの顔を覗きこむ。頬にかかる、プラチナブロンドが邪魔をして、彼の表情を読み取ることは出来なかった。
「オレ、今から晩飯の準備をするから……しばらく休んでろよ」
シンは、レイに割り振った部屋のドアを開けて、彼の手を引き、ベッドの前まで移動した。手を離すと、レイは崩れ落ちるようにベッドに座り込み、深くうなだれた。
「机は、昨日届いたんだ。それまで、ベッドしかない寂しい部屋だった。あの人……ヤマト隊長から預かってきた端末、ここに置いておくから──」
言いながら、シンは、レイの情報端末を机の上に置いた。
昨日、突然、ヤマト隊の執務室に呼び出され、レイと一緒に住むという話は本当かと訊かれた。頷くと、ヤマト隊長は、机の中から情報端末を取り出し、シンへ差し出した。
レイが退院した後、すぐに、軍法会議への出頭命令が下る。ヤマト隊長は、あの場所にレイを立たせることは避けたいのだと言った。とても危険だという彼の言葉に、シンは素直に同意した。
戦争が終わって間もなく、シンに軍法会議への出頭命令が下った。「証人」として立ったそこで、底知れない居心地の悪さと、信じていたものを覆されるような怒りを覚えた。議長を信じて歩んできたレイに──大切な人を失って、心まで潰れかけているレイに耐えられるはずがないと、シンも感じていたからだった。
「軍法会議へ出頭する代わりに、報告書を提出して欲しいんだ。それで、上層部の方へ掛け合ってみる。彼には、君から頼んでみてくれないかな」
言って、ヤマト隊長は顔を傾けて微かに笑う。
「勝算は、あるんですか?」
睨むような視線を向けて問うと、
「あるよ」
彼は、微笑みを崩すことなく答えた。
「クライン議長……で、ありますか?」
問いかけを笑顔でかわされて、シンは小さく息を吐き、差し出された端末を受け取った。
「一つだけお伺いしても、宜しいでありますか?」
「なに?」
「どうして、そこまでして下さるんですか?アナタ達にとって、オレやレイは戦争首謀者の駒……いつ、反旗を翻すか分からない存在…でしょう?」
ヤマト隊長の瞳が、一瞬だけ、考えを巡らせるように揺れたけれど、彼はすぐに、曖昧な笑顔でそれを覆い隠した。
「優秀なパイロットを失うのは、軍としても痛手だからね──なんて、こんな誤魔化しで引き下がってくれるほど、諦めは良い方じゃないよね」
「はい」
よく分かっているじゃないか、と心の中で呟きながら、机の端のあたりに視線を向けている、かつての敵モビルスーツパイロットの姿を、シンは上目遣いに、注意深く観察した。
「建前は、優秀な人材を潰してしまいたくないから。……でも本当は、僕の個人的な感情だけで動いている──宿縁、っていうのかな……彼と僕の存在は、根っこのところで繋がっているから、放ってはおけないんだ。それに、今の僕には、彼を守ることができるだけの力を与えられている。それなら、出来る限りのことをしたいじゃない……ごめんね、これ以上は言えない……彼にとっても、あまり、人に知られたくないことだろうから」
「……宿縁」
「深く考えなくてもいいよ。君は、何も知らなくていいんだ──書式と送信先、それから、彼宛てに届いていたメッセージも、端末の中に入っているから……報告書の件は任せたよ」
「了解しました」
シンは軽く会釈して、ヤマト隊の執務室を出た。
誰もいない広い通路に、靴音だけが、やけに大きく響く。
『キラ・ヤマトという夢のたった一人を創る資金のために俺達は作られた』
シンは、レイの言葉を頭の中で反芻した。
あの人も、人間によって運命を歪められてしまった存在だったのか。シンは、小脇に抱えた端末を握る手に力をこめた。
憎しみを向けていた男の手を借りなければ、レイを守ることさえ出来ないというのは癪だった。しかし、かつて敵対していたはずの人間が、レイの身を案じ、守ろうとしてくれることに、シンは、僅かな戸惑いと喜びを感じていた。
シンは、ベッドの端に腰を下ろして俯いているレイの足元に膝をついて、彼の顔を見上げた。ぼんやりと開かれた目は、宵闇を張り付けたかのように薄暗く、静かで、目の前にいる存在を通り越して、遥か遠くを見つめている。
「──レイ……もうすぐ、軍法会議への出頭命令が下る。でも、報告書を提出して、あの人……ヤマト隊長が上層部との交渉に成功したら、免除されるかも知れないんだ。つらいだろうけど、報告書を書いて、あの人に送信して欲しい。オレ、あんなところに、レイを立たせたくない……だから、頼むよ」
シンは手を伸ばし、拗ねた妹をなだめるような手付きで、レイの頭を優しく撫でた。初めて触れた彼の髪は、とても柔らかく、さらさらしていた。
部屋にレイを残して、キッチンに入ったシンは、シチューの固形ルウの箱の裏書きを睨み付けながら、材料を切り、炒めて、煮た。ルウを溶かした鍋の中身をぐるぐるとかき回して、火を止める。
「レーイ、メシー」
大声で呼んでみたが、返事はない。
シンは、ひとつ溜息をついて、キッチンを出た。レイの部屋の前に立ち、ドアを軽くノックする。やはり、返事はなかった。そっとドアを開け、室内を見わたすと、ベッドの上で身体を丸め、横たわっているレイの姿を確認できた。息をひそめて傍へ歩み寄り、目を閉じた彼の顔を覗きこむ。眠っているにしては、呼吸が浅いような気がする。
「レイ。メシ、出来てるから、腹減ったら食べに来いよ。……こういうことするのは初めてだから、あまり旨くないかも知れないけどな」
シンは、頬を隠すレイの髪を梳くように、そっと後ろへ流す。
「……レイ」
小さな声で彼の名前を呼び、露わになった、疲れと心労を滲ませている頬を指先で軽くつつき、シンは部屋を出た。
朝、身支度を整えて、鍋の中身とパンの数を確認する──昨夜から、まったく減っていなかった。
「レイ。オレ、出勤するから。……ちゃんと、メシ食えよ」
言いながら、シンは、レイの部屋のドアを開けた。ベッドの上で膝を抱えて座り、顔を伏せた彼からの反応はない。シンは小さく息を吐いてドアを閉め、玄関へ向かう。
(あとどれくらい、レイはあのままなのだろう?……オレは、本当にあいつを支えていけるのか?)
玄関ドアに鍵を掛け、湧き上がってくる不安を逃がすように、シンは深く息を吐いた。
【つづく】
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