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あたたかな風が髪を揺らす。
濃い花の香りを鼻腔を満たし、レイは、そっと目を開けた。
足元から、遙か向こうの地平線までを隙間なく埋め尽くす、色とりどりの花。目の前に広がる圧倒的な光景に息を呑みながら、
(……俺は、死んだのか)
と、頭の芯に醒めた思考を巡らせて、レイは細く息を吐いた。
体の脇を、一人の少年が駈けていく。
花に霞んでいる地平線を目指していた少年がふいに立ち止まり、レイは目を細め、少年と、もう一人、花畑の真ん中にしゃがみこんでいる人影へ視線を向けた。
少女のように見える人影からなにやら受け取った少年は、彼女に手を振って、再び、地平線を目指して駈けだした。彼の後を追い、レイも、地平線へ向かって歩き始める。何故かは解らないが、そうしなくてはならないような気持ちに突き動かされるように、自然と、足がそちらへ向かうのだ。
膝から下を群生している花に埋め、レイは、ゆっくりとした足取りで、少女の方へ歩み寄る。
顎のあたりで内側に巻いている、柔らかそうな金色の髪を風になびかせ、真っ白なスカートの生地を、体の回りにふんわりと巻き付けた少女は、傍らの花を摘み、花の首飾りを編んでいた。
こちらの気配に気付いた少女は、顔を上げ、にっこりと微笑む。
「おはな、どうぞ」
幼女のように辿々しい言葉とともに差し出された花の輪へ手を伸ばすと、少女は困ったように眉根を寄せてそれを引っ込め、ふるふると首を横に振った。何か、気に入らなかったのだろうか?レイは僅かに顔をかたむけ、どこかで見たことがあるような、懐かしさに似たものを感じさせる少女の顔をじっと見つめた。
きれいに編まれた花の輪を再び差し出され、レイは手を伸ばす。しかし、それはすぐに引っ込められ、伸ばした指先が花びらを掠めた。
(……彼女が求めているのは……こういう、ことだろうか?)
レイは、先ほど通り過ぎていった少年の姿を思い出し、彼女の傍らに膝を付き、洗礼を受けるように頭を垂れて目を閉じた。
瑞々しい花びらが耳の先を掠め、首の後ろに微かな重みを感じたレイは、ふうっと息を吐いて笑い、薄く目を開けて、顔を上げた。
「あかい、ふく。……シンと、おなじ」
目の前で微笑む少女は、呟いて、懐かしそうに目を細める。シン──その名前の響きが鼓膜を震わせた瞬間に、レイは、先ほど、彼女の姿を見たその瞬間に沸き上がってきた懐かしさの正体を悟った。
シンは、この少女を何と呼んでいただろう?レイは、遠ざかって久しい記憶の糸を慎重に手繰りよせ、かつて、彼が必死になって守り、愛しそうに口にした彼女の名前を反芻する──
「──ステラ……」
知らない人間から発せられた、名前。彼女は、こちらへ向けた瞳に怪訝そうな色を纏わせて、顔をかたむけた。
「……だれ?」
「俺は……レイ。シンの…友達……だった」
「シンの、ともだち?……シンは……?」
「彼は、いない」
「どうして?」
「彼は、まだ、生きている…から」
「……そう。……シン……いきてる」
レイの言葉を反芻した彼女は、ふうっと息を吐き、とても嬉しそうに口元を綻ばせた。
「君は、向こうへは行かないのか?」
先ほど、彼女から花の輪を受け取った少年が姿を消した、花に埋もれた地平線を指さして、レイは問う。
「いかない」
即答した彼女に、「なぜ?」と尋ねると、彼女は柔らかな笑みを浮かべて、「しらない」と答え、周囲に群生している花を摘み、作りかけの花の輪に、それを器用に編み込んでいった。
(……急ぐ必要はない、ということか?)
地平線へ視線を向けたレイは小さな溜息をつき、歌を口ずさみながら花を編んでいく彼女の傍らに胡座をかいて、彼女の慣れた手の動きをぼんやりと眺める。ほどなくして、先ほど彼女から受け取った首飾りよりも小さな輪っかが完成し、彼女が両手で掲げてレイの頭に乗せようとしたそれを、レイは首を竦めて、素直に受け取った。
ゆったりと流れていく、時間──いや、この世界に、時間という概念は存在するのだろうか?
このまま何もせずに、彼女の傍らに座り続けているという選択肢もあるにはあったが、残された時間を無意識に数え、生き急いできた者の性か、「何もしないでただ存在する」ということに、激しい抵抗を感じてしまう。
レイは細く息を吐き、傍らで咲き乱れる花を摘んだ。花を奪われた茎がふるりと震えて、茎が延び、その先に蕾を付けて、再び花を咲かせる。その驚異の再生能力に驚きながらも、現実とはまるで違う世界だからと、自分を無理矢理に納得させたレイは、歌を口ずさみながら花を編む彼女の手の動きを真似て、一本一本丁寧に編み込んでいった。
コツを掴んだ後の作業は、自分でも驚くほどにスムーズだった。
「ステラ──」
名前を呼び、完成した小さな花の輪を彼女の頭に乗せると、
「ありがとう」
彼女は嬉しそうに言い、お返しに、彼女が編んでいた更に小さな花の輪で腕を飾り付けられてしまい、花に埋もれたレイはひっそりと苦笑いを浮かべた。
ここに来てから、どれくらいの時間が流れたのだろう?
見よう見まねで作り上げた花の輪を傍らに積み上げて、レイはぼんやりと考えを巡らせた。
持って生まれたの器用さのせいか、花の輪を編むスピードが、いつの間にか彼女のそれを上回るようになり、編み終えた花の輪は、彼女の手によって、傍らを通り過ぎていく人達へ手渡されていくという役割分担が、二人の間に自然と出来てしまっていた。
通り過ぎる者が誰もいない時には、彼女は鼻歌に合わせて軽やかにステップを踏み、スカートの裾をふんわりと膨らませながらくるくると回り、踊る。
ふいに彼女の動きが止まり、レイは顔を上げて、背伸びして遠くを見つめる彼女の顔を振り仰いだ。
「──シン」
呟いて、彼女は、遠くに現れた人影の方へ向かって駆け出す。レイは花を編んでいた手を止めて、身を捩り、彼女が駆けていく方向へ顔を向けた。
赤い服を身に纏った少年が、長い裾を翻らせて、彼へ飛びつく少女の細いからだを受け止める。
「ステラ!……よく、オレだって分かったね。オレ、しわくちゃの爺さんなのに…って…あれ?」
言いながら、彼女から体を離したシンは、不思議そうな面持ちで彼の手と指先でつまんだ長い前髪を交互に見遣り、首をかしげた。
レイは傍らに積んでいた花の輪をひとつ取り、ゆっくりと立ち上がる。こちらへ向けられた視線に右手を挙げて応え、レイは、再会を喜び合う二人の傍らへ歩み寄った。
「あー、オレ、死──こっち側に来ちゃったのか。……つか、レイ……その格好、何?」
花の冠に首飾り、腕輪を付けたレイの姿を見たシンが、呆気にとられた表情をこちらへ向け、問いかける。
「これか?ステラに貰った」
彼の疑問に答えながら、レイは、持っていた花の輪を彼女へ手渡す。
「シン。おはなを、どうぞ」
「……あ、ありがとう」
頭を下げ、彼女からの洗礼を受けたシンは、頭上に乗せられた花冠にそっと触れ、くすぐったそうに笑った。
「ところで、二人とも、あっちに行かないのか?」
「あっち、とは?」
「あっち、って……あっちだろ」
シンは、花に霞む地平線を指さす。
「ステラは、どうする?」
問いかけると、ステラは、シンの腕に彼女のそれを絡め、「ステラ、シンといっしょ」と言って、ふわりと笑った。
「はじめは、俺もあちらへ向かっていたのだが……ここで彼女と出会って、その機会を逸してしまった。……このまま行ってもいいが……一人、足りないような気がしてな」
「ああ、ルナ。こないだ会ったけど、あいつ、あと20年はこっちに来そうにないぞ」
「……るな?」
シンの横顔を見上げて首をかしげる彼女に、シンは優しく笑いかけ、
「オレと、レイの、友達。ステラとも、いい友達になれると思うよ」
ゆったりとした口調で彼女に言った。
「別に、急ぐことはないんだな。……じゃあ、ルナが来るまで、なにしようか?」
シンの問いかけに、
「昔話が聞きたい。……あの後、お前が、どのような人生を歩んできたかを──」
そう答えると、彼は「うーん」と唸りながら首をひねり、
「あれから、色々あったけどさぁ──」
おそらくは遙か彼方に束ねて仕舞っておいた記憶の糸を丁寧に手繰り寄せ、あたまの中で解きほぐしながら、目を細めて遠くへ視線を向けた彼は、口元にかすかな笑みを浮かべて、彼が歩んできた物語を、懐かしそうに紡ぎ始めた。
了[2009/9/7]
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