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眠れない。
ひとりで眠るには広過ぎるベッドの真ん中で寝返りを打ち、レイは、普段、シンの定位置となっている壁際に身を寄せた。
短期出張で、シンがカーペンタリアへ赴いてから、四日。レイは、日々浅くなっていく眠りに悩まされていた。
目を閉じていても、頭の中は妙に冴え冴えとしていて、夢と現実の境目を水平飛行し続ける。
軍務と、ここ数日の不眠で疲労が蓄積されているはずなのに、その境目から深い場所へと意識を落とし込めずにいたレイは、内心に舌打ちをし、枕に顔を埋めて、シンの匂いを探り当てた。
幼少時代を過ごした研究施設から保護された直後には、施設での生活を思い出させる冷たいベッドの中が恐ろしくて仕方がなかった。しかしそれは、眠れずに、ただ怯えるだけだった幼い自分と添い寝してくれたラウやギルバートの、大人の男の人の力強い腕に包み込まれ、温もりと匂いに触れることによって少しずつ改善されて、アカデミーへ入るずっと前には、既に克服していたはずだった。それなのに……。
シンとベッドを共にすることで、あの時の症状がぶり返してしまったとでも言うのだろうか?
(・・・・・・情けない)
レイはひとつ溜息をつき、ゆっくりと上体を起こして、寝乱れた髪を指で梳いた。
タイル張りの冷えた床に素足をつけ、カーテンの隙間から差し込む常夜灯の青白い光を頼りにキッチンへ向かい、カップボードから取り出したグラスに氷をたっぷりと入れて、ウィスキーを注いだ。
グラスの縁に口を付け、琥珀色の液体を喉へ流し込む。強いアルコールの香りを鼻から逃がしながら、レイは、藍色の薄闇に沈んでいる広いリビングを見渡した。
(この家は、こんなに広くて冷たかっただろうか?)
使われていない部屋から洩れ出る夜の冷気に、ゆるやかに包囲されていく気配を感じながら、レイは溜息をつき、強い酒を一気に飲み干した。
シンが帰ってくるまで、あと三日──。
寝苦しい。
カーペンタリアへ降り立ってから、六日。そのうちの四日は悪夢に魘されて目を覚まし、残りの二日は妙に眠りが浅かった。
シンは、額に滲んだ汗を手の甲で拭い、大きく息を吐く。
夢の中で体に纏わりついた熱風と焼け焦げた匂いは、体温を上昇させ、鼓動を早鐘のように鳴らして、もう一度眠りの中へ沈もうとする意識を現実へと押しとどめる。
(……そういえば、ここのところ、悪い夢を見ていなかったな……。いつから見ていないんだっけ?……官舎に住んでいた時には、しょっちゅう魘されていた覚えがあるんだけどな──……あ……そっか。よく眠れるようになったのは、レイと同居し始めてからだ……)
シンは、宿舎の天井を眺めながら、ぼんやりと考えを巡らせた。
カーペンタリアの、オーブと良く似た気候が悪夢へと誘っているのだろうか?それとも、傍にレイの温もりがないから──?
「……子供じゃあるまいし」
一人ごちたシンは、がりがりと頭を掻き、大きな溜息をついた。
明日の夜にはプラントに、レイと同居している家に帰ることが出来る。ほんの少しの辛抱だ……けれど──
「──会いたいな…レイ」
呟いて、シンは壁際に寝返りを打ち、ぎゅっと目を閉じた。
二十三時過ぎ。
バレル邸の門の前でタクシーのテールライトを見送った後、シンは、いばらのモチーフがあしらわれたスチール製の門扉を押し開けて、足下に広がる芝生を踏みしめた。
遠く、リビングの辺りに、橙色の柔らかな光が漏れ出ているのを庭園の木々の隙間から確認したシンは、ほっと息を吐き、歩みを早める。
「ただいま」
重い玄関ドアを開け、エントランスの吹き抜けた高い天井に声を響かせると、長い廊下の向こうにある扉の隙間から、レイが顔を覗かせた。
「お帰り」
鼓膜を震わせる、レイの低く甘い声が妙にこそばゆい。
「飯は?」
「食ってきたよ」
「風呂は?」
「シャワー、浴びてきた」
「……どこで?」
「報告書を提出するついでに、軍本部の仮眠室で。……びっくりした?」
白い軍服の上着を脱ぎながら、にいっと笑うと、レイの眉間の皺がいっそう深くなり、シンは脱いだ上着を肩に引っかけて、彼のおでこに自分の額をぐりぐりと押しつけた。
「少し、顔色が優れないようだな」
「んー、ちょっとね。……疲れた、かな」
「忙しかったのか?」
「……んー。ま、そんなとこ」
レイの問いかけに、シンは曖昧な笑みを返して、くっつけていた額を離す。たぶんレイが傍にいなかったから眠れなかったなんて、そんな恥ずかしいこと、言えるもんか。
「そうか。今日は、早く休め」
「うん。そうする」
言いながら頷くと、レイは、じっとこちらへ向けていた目を伏せるように視線を逸らし、頬を緩めて微かに笑った。
「どうした?」
首を傾げるシンに、
「お前がいると、この家の空気が変わる」
と、レイは独り言のように呟いて、彼が発した言葉の真意を掴みかねているシンをその場に残し、ゆっくりとした足取りでベッドルームへ向かった。
レイの後を追ってベッドルームへ入ったシンは、脱いだ軍服をハンガーに掛け、ブーツを床に転がす。乱雑に床に転がったブーツを、見かねたレイが壁際に寄せるのを視界の隅っこに捉えながら、Tシャツとハーフパンツに着替えて、広いベッドに潜り込んだ。
枕に頬を埋めると、自分のものではない香りがふわりと鼻先を掠める。ほんの一週間ほどしか離れていなかったのに、奇妙な懐かしさを憶えたその匂いを鼻腔に満たし、シンは目を閉じた。
瞼の向こう側で灯っていた、柔らかな橙色の光が消え、ベッドルームの内側を、藍色の薄闇と静寂が満たしていく。
マットレスの端が沈み、レイの体の重さが徐々に近付いてくるのを感じながら、横向きに寝ていたシンは、体の下敷きになっていた腕を、枕に沿うように伸ばす。薄い闇の向こうで、レイの気配がふうっと息を吐いて笑い、シンのすぐ傍に体を横たえた。枕とレイの首の隙間に収まった腕に彼の柔らかな髪が触れ、くすぐったさに、シンは僅かに肩をそびやかす。
しばらくの沈黙の後、「すうっ…」という寝入りばなの深い呼吸が耳朶を掠め、シンは薄く目を開けた。
「……相変わらず、ムカツクくらい寝付きのいいヤツだな」
呟いたシンは、レイを起こさないよう慎重に、弛緩した彼の体を抱き寄せる。腰に触れていたレイの手に、僅かに力が籠もり、シンは頬を緩めた。
レイの額に自分のそれを押し付けて、彼の温もりと匂いに包まれながら、シンは、しだいに重くなっていく瞼を静かに閉じた。
了[2009/07/09]
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