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「準備、出来たぞ」
レイの声にハッと我に返ったシンは、浮き輪を抱えて振り返る。鍛え上げられた上半身が視界に入ったその瞬間に、再び、腹の奥の方から奇妙なざわめきが突き上げてくるのを感じ、水着姿のレイから、そっと目を逸らした。遣り場を失くした視線を宙にさまよわせながら、レイの左側に立つ。彼の温もりが肩に触れたのを合図にゆっくりと歩き始め、リビングを出て、ビーチ・チェアーの脚元に置いていた足ヒレを抱え、海へ向かった。
昼食後の腹ごなしにシンが作り上げた砂山の傍らに、レイは、握っていた杖を置く。ゴーグルと足ヒレを装着したシンは、体の右側をレイの肌に密着させて、腰を抱え上げるように後ろから手を回した。手助けを素直に受け入れて貰えたことに微かな喜びを感じながら、波を押し分けて沖へ進む。腰のあたりの深さまで浸かったところで、レイを浮き輪に掴まらせて、シンは勢い良く海底を蹴った。海面に寝転がり、目に染みる空の青色と、レイとを交互に見遣り、目的のポイントを目指した。
しばらく無言で浮き輪に掴まっていたレイだったが、底に足が届かなくなったその瞬間に、ゴーグルを装着し、右手を軽く上げて、海中へと姿を消した。
「レイ!?」
シンは慌てて潜り、海中に沈んだレイの姿を探す。レイは珊瑚礁の上を、動く方の脚を器用に使って、魚のようにきれいなフォームで泳いでいた。シンは、穏やかに凪いでいる海面に浮き輪を残してレイの後を追う。海面を漂う浮き輪を拠点にして、ふたりは、時間を忘れて潜水と浮上を繰り返した。
地球の重力から僅かに解放され、動かしやすくなった脚で水を蹴り、珊瑚礁群の隙間を縫うように泳いでいくレイの後ろ姿を眺めながら、シンは、セピア色の記憶の中にいる、海を怖がっていた少年は、今、どうしているのだろうかと、ぼんやりと考えを巡らせた。
思い出してみれば、あの少年の外見の特徴はレイと同じだ─まさか、な……。脳裏をよぎった可能性を一笑に付して、シンは、先を泳いでいるはずのレイの姿を探した。
(……レイ……?)
意識を過去へと飛ばしている間に、彼の姿を見失ってしまった。シンは、一旦、海面に顔を出し、新鮮な空気を大きく吸い込んで再び潜水した。しばらくの間、色とりどりの魚たちと一緒に付近を回遊していると、珊瑚礁群から僅かに離れた海底に、右足を抱えてうずくまるレイの姿を見つけて、シンは強く水を蹴り、体を前進させた。近付いてくる気配に気付いて顔を上げたレイは、微かに口元を歪めて、ばつが悪そうに笑った。
こちらへ伸びてきたレイの腕を掴み、海面に漂う浮き輪の影をめがけて共に浮上する。
「大丈夫か?」
海面に顔を出したその瞬間にレイは激しく咳込み、シンは、彼の背中をそっとさすった。問いかけに、ゴーグルを外したレイが小さく頷いたのを見届けたシンは、ほっと息を吐き、浮き輪に掴まって肩で息をする彼を半ば衝動的に抱き寄せ、胸と胸とを密着させた。激しく脈打つ互いの鼓動を重ね、濡れたプラチナブロンドに頬を寄せて、目を閉じる。やはり、あの日から、レイに対する自分の中の何かが、完全に変質してしまっている。病室のベッドの上で泣きじゃくるレイを抱き締めたその瞬間、胸に灯った小さな明かり。それは、ステラやルナマリアへ向けていたものに良く似ていたけれど……それよりも、もっと凶暴で邪な──
「部屋に戻ろう」
レイの呼吸が落ち着くのを待ってから、シンは浮き輪を引っ張りながら岸へ向かう。浅瀬で足ヒレとゴーグルを取り、レイに、それらと浮き輪を押し付けて、彼に背中を向け、しゃがみこんだ。
「……何の真似だ?」
「足、両方ともうまく動かないだろ。だから、おんぶ」
シンの背中に、沈黙が圧し掛かる。
「キツイ時には甘えてよ、レイ。オレが今までずっとレイに支えてもらってたみたいに、オレも、レイを支えたいんだ。もう、ひとりで抱え込むの、やめにしよう。オレ、頼りないかもしれないけど、頑張る、から」
言うと、レイは小さく息を吐いて、シンの背中にそっと触れた。
「……甘えさせて貰う」
シンの首に、レイの腕が遠慮がちに纏わりつく。彼の冷えた肌が背中に密着し、耳のすぐ後ろに息遣いを感じたその瞬間に首筋がざあっと粟立ち、シンは思わず息を呑んだ。
夕方が近付くにつれて、少しずつ、潮が満ちていく。波に浸食されて崩れかけた砂山へ歩み寄り、シンは、おぶっているレイを落とさないよう慎重に腰を屈め、濡れた杖を取り上げた。ふたり、無言のままコンドミニアムへ向かい、テラスのビーチ・チェアーにレイを座らせた。
「足、伸ばしてよ」
ビーチ・チェアーの肘掛けに杖を立て掛けたシンは、レイの足元に膝を付き、硬く引き攣れた彼の右脚を丁寧に揉み解していく。
「……すまない」
申し訳なさそうな顔をするレイに、シンは小さく頭を振り、「気にすんな」と返す。手の中にある、細いけれどまだ衰えを知らない筋肉の感触が妙に嬉しくて、シンは口元を綻ばせた。
「珊瑚礁、きれいだったろ?」
問うと、レイは頷いて、
「ああ。忘れかけていた、遠い昔の記憶がよみがえった」
と、言葉を返した。
「見たことあったんだ?」
「色々あって、すっかり忘れてしまっていたが、な」
「へぇ。どこで?」
「どこだったかは、忘れてしまったが……ここと同じ、海が綺麗な場所だった。初めて見る海と波が怖くて、波打ち際で一人遊んでいた俺を、同じ年くらいの地元の少年が沖まで連れ出してくれた。一人の時には恐ろしくてたまらなかった海が、その時だけは、とても楽しかったのを、思い出した」
レイは、遠い昔に繋がる記憶の糸を、ゆっくりと丁寧に手繰り寄せる。脚を揉みほぐす手を休めて顔を上げたシンは、目を細めて空を仰ぐレイの顔をじっと見つめた。
さっきまで、虫食い穴みたいに欠けていたパズルのピースが、ひとつずつ正しい場所へと寄り集まってくる。
「どうした?」
怪訝そうな目をこちらへ向けたレイに、シンは、
「さっき、レイが言ってた『同じ年くらいの少年』って、もしかしたらオレかもしれない」
言って、口の端を僅かに上げた。
「オレの中にも、似たような思い出があるんだ─なあ、レイ。その時、麦わら帽子を波に持って行かれただろ?んで、初めての海で、波が怖くて拾いに行けなかった……違う?」
「……正解だ。それを拾って、俺に珊瑚礁を見せてくれたのは──」
「──やっぱり、オレだ」
二人で顔を見合わせて、なんだか、とても不思議な気分になった。冷静沈着、常に仏頂面のレイと、遠い昔に逢った、人見知りでシャイな少年とが、頭の中で上手く結びつかなくて、シンは、こみ上げてくる笑いを口内で噛み殺した。
「だが……アカデミーで再会した時、お前の顔を見ても、思い出しもしなかったな」
「オレも、思い出さなかったけれど……オレの場合は、たぶん、オーブ侵攻の爆撃の記憶で、ここでの楽しかった思い出とか、全部、掻き消されてしまっていたのかもしれない。あの頃は、ここを憎むことで立っていられたようなもの……だったから」
「楽しかった思い出が、つらい記憶に上書きされてしまった、か。……俺も、似たようなものだな。それに……」
「それに?」
「あの時の闊達な少年が、全身に、険と、自分自身さえも傷つける棘を纏って目の前に現れるとは思ってもみなかったから……同じ人物だと、認識出来なかったのだろう」
「それを言うならレイだって。あーんな天使みたいに可愛かった子供が、すっげぇ無口で仏頂面になってるなんて思うもんかよ」
「色々あったからな。……お互いに」
「そうだな。……よし、終わりっ!シャワー浴びようか。後で背中にローションも塗ってやるよ」
シンは、マッサージの仕上げに、レイの足首をくりくりと回した後、そっと砂の上に降ろした。
「すまない」
「気にすんなってば」
また、申し訳なさそうな顔をするレイを笑い飛ばし、杖を支えにして立ち上がる彼をサポートしながら、テラスからリビングへ戻った。
背伸びして借りたコンドミニアムは、リビング、ダイニング、キッチンと、ツインのベッドルームが二部屋、バスルームも二つ──二人きりで生活するには充分すぎる広さだった。メインのバスルームをレイに譲り、シンは、ベッドルームに付属した小さなバスルームへ向かい、手早くシャワーを浴びた。日差しが最も強い時間帯に泳いだせいか、焼けた背中がひりひりと痛む。何もかもが丈夫に出来ているコーディネイターの自分でさえ痛むのだから、レイの背中は、今夜、相当に酷い有り様になるかもしれない。もっと早い時間にレイを誘い出せばよかったと、シンは内心に舌打ちをした。
水着からハーフパンツに着替えたシンは、上半身は裸のまま、備え付けのドレッサーに置いていた、日焼けの炎症を抑えるローションを取り、背中に塗りながら、レイがバスルームから出てくるのを待つ。ベッドの端に腰を降ろし、ローションをたっぷりと浸したコットンを、鼻の頭と頬に貼り付けている真っ最中にベッドルームの扉が開き、顔を覗かせたレイが、ぶっと吹き出すように笑った。
「笑うなぁ!」
叫ぶと、レイは肩を震わせながら「すまない」と詫びて、シンの隣に腰を降ろした。
「Tシャツを脱いで、背中向けてくれる?」
シンは、掌にたっぷりとローションを落とし、痛々しいほど赤く焼けたレイの背中に、丁寧にそれを伸ばしていく。やはり、夜には軽い火傷のような状態になりそうだ。シンは小さく溜息をつき、露わになったレイの背中をそっと撫でた。
「背中は、終わり。今度はこっち向いて」
素直にこちらを向いたレイの火照った頬と鼻の頭に、ローションでひたひたに湿らせたコットンを、どぎまぎしながら乗せていく。ぎゅっと目を閉じたレイは、唇の端を微かに上げて、「気持ちが良いな」と、シンに聞かせるでもなく呟いた。
「だろ?昔、泳いだ後に、母さんと妹がやってたんだ。火照りが早く取れるんだってさ」
「そうか……」
気遣わしげな視線を、ちらりとこちらへ向けたレイは、薄く開いた唇の隙間からふうっと息を吐き、首のうしろを軽く揉みほぐした。
「疲れた?」
尋ねると、レイは視線を床に落として頷く。
「晩飯まで、寝たらいい」
「……そうさせて貰う」
言って、レイは、動かない脚を引き摺るようにベッドの上を移動して横たわり、天井を仰いだ。蓋を閉めたローションをサイドテーブルに置いたシンも、隣のベッドに、ごろりと寝転がった。
開け放たれた窓から流れ込む心地よい風に、白いレースのカーテンがふわりと舞い踊り、その隙間から、良く晴れた青い空が覗く。
シンは、次第に遠くなっていく潮騒の響きに耳を傾けながら、少しずつ重さを増していく瞼をそっと閉じた。
【つづく】
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